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2015年10月08日
【2015】日光東照宮輪王寺大猷院は美しかった
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日光東照宮に行ってきました。まずはただいま特別公開中の徳川家康の御位牌を見るために、輪王寺大猷院(たいゆういん)に。
大猷院は3代将軍・家光公の廟所で、家光の戒名『大猷院殿贈正一位大相国公』から、この名前がついた。
祖父である家康公(東照宮)のそばでう仕えたいという思いから、ここに廟所を。そして東照宮を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りに。
でも、今回聞いたら、なんと『金』は東照宮より多いとのこと。わざとではないと思うが、造っていったらそうなったんでしょうね。江戸時代に正確な金の量も計れなかったと思うし。
入口の『仁王門』から『拝殿、本殿』まで美しかった。黒と金のコントラストがお寺なのに、まるで美術館で観賞しているような気分に。
仁王門(におうもん)は一番最初の門で、口を開いた『阿形(あぎょう)』と口を閉じた『吽形(うんぎょう)』 2体の仁王像『金剛力士像(こんごうりきしぞう)』が安置されています。これはどこでも見られるんですが、 『阿吽の呼吸』はここから来ているとのこと。これははじめて知った!
12本の御影石の柱で支えられている御水舎。こんなに豪華できらびやかなのところで手を清めることができるなんて恐縮します。これは東照宮よりもはかるにすごかった。
大猷院の境内で1番大きな門・二天門(にてんもん)ですがただ今修復中で見ることができませんでした。
後水尾上皇による扁学(へんがく)はみることができまましたけどね。
二天門(にてんもん)からちょっと上に行くと展望所があります。
展望所から下を見ると、当時の大名からの献上品の石灯籠がたくさん並んでいます。
灯篭も石高によって大きさや材質が違い、ここにいると大名の格付けがよくわかるますね。
本殿に近い門で、8本の朱塗りの柱で支えられているきらびやかな夜叉門。
正面、背後の柵の中に四体の夜叉『阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)』が、安置されていることから夜叉門と呼ばれ、霊廟(れいびょう)を守っています。
大猷院には300基以上の灯篭が並んでいます。
各国の大名たちが寄進したものですが、最後の最後に出会ったのが徳川御三家の灯篭です。これは青銅でとても大きなもので、大名とは違いますね。
徳川御三家の格付けって、尾張→紀州→水戸ですが、ここは『紀州』⇒『水戸』⇒『尾張』の順です。
なんで? どうして? 気になりますよね。今回、専用のガイドに案内してもらったので教えてもらいました。
大猷院が完成したとき、紀州と水戸は『初代藩主』でしたが、尾張はすでに初代藩主が亡くなり二代目でした。それで紀州と水戸の初代藩主に遠慮して、灯篭を一番外側に建てたそうです。
大名たちも石高で灯篭の場所が違いましたが、御三家は御三家で気を使っているんですね。
透し塀です。ここもじっくり見ましたが、何しろ見どころ満載でどれだけ時間があっても足りない。
唐門は大猷院の中で一番小さいものですが、装飾は一番ですね。
まぁ、この先が拝殿・相の間・本殿だから当然といえば当然ですが。
拝殿に入ることができますが写真はNG。
私が部屋に入ったとき、運よくお経をあげている最中で、家康の金ぴかのお位牌を拝んできました。
拝殿でお詣りしたあとは、本殿の外観を見ることができますが凄すぎる。
あまりのきらびやかさに目がくらみます
奥の院の入口にあたる皇嘉門(こうかもん)。
この先に家光の墓所がありますが・・・ 一般人は入れません。
輪王寺大猷院
栃木県日光市 山内2300
徳川家康公400年御遠忌記念
家康公御位牌初公開
会期 2015年4月22日(水)~2016年11月30日(水)
日光東照宮
栃木県日光市山内2301
日光東照宮に行ってきました。まずはただいま特別公開中の徳川家康の御位牌を見るために、輪王寺大猷院(たいゆういん)に。
大猷院は3代将軍・家光公の廟所で、家光の戒名『大猷院殿贈正一位大相国公』から、この名前がついた。
祖父である家康公(東照宮)のそばでう仕えたいという思いから、ここに廟所を。そして東照宮を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りに。
でも、今回聞いたら、なんと『金』は東照宮より多いとのこと。わざとではないと思うが、造っていったらそうなったんでしょうね。江戸時代に正確な金の量も計れなかったと思うし。
入口の『仁王門』から『拝殿、本殿』まで美しかった。黒と金のコントラストがお寺なのに、まるで美術館で観賞しているような気分に。
仁王門(におうもん)は一番最初の門で、口を開いた『阿形(あぎょう)』と口を閉じた『吽形(うんぎょう)』 2体の仁王像『金剛力士像(こんごうりきしぞう)』が安置されています。これはどこでも見られるんですが、 『阿吽の呼吸』はここから来ているとのこと。これははじめて知った!
12本の御影石の柱で支えられている御水舎。こんなに豪華できらびやかなのところで手を清めることができるなんて恐縮します。これは東照宮よりもはかるにすごかった。
大猷院の境内で1番大きな門・二天門(にてんもん)ですがただ今修復中で見ることができませんでした。
後水尾上皇による扁学(へんがく)はみることができまましたけどね。
二天門(にてんもん)からちょっと上に行くと展望所があります。
展望所から下を見ると、当時の大名からの献上品の石灯籠がたくさん並んでいます。
灯篭も石高によって大きさや材質が違い、ここにいると大名の格付けがよくわかるますね。
本殿に近い門で、8本の朱塗りの柱で支えられているきらびやかな夜叉門。
正面、背後の柵の中に四体の夜叉『阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)』が、安置されていることから夜叉門と呼ばれ、霊廟(れいびょう)を守っています。
大猷院には300基以上の灯篭が並んでいます。
各国の大名たちが寄進したものですが、最後の最後に出会ったのが徳川御三家の灯篭です。これは青銅でとても大きなもので、大名とは違いますね。
徳川御三家の格付けって、尾張→紀州→水戸ですが、ここは『紀州』⇒『水戸』⇒『尾張』の順です。
なんで? どうして? 気になりますよね。今回、専用のガイドに案内してもらったので教えてもらいました。
大猷院が完成したとき、紀州と水戸は『初代藩主』でしたが、尾張はすでに初代藩主が亡くなり二代目でした。それで紀州と水戸の初代藩主に遠慮して、灯篭を一番外側に建てたそうです。
大名たちも石高で灯篭の場所が違いましたが、御三家は御三家で気を使っているんですね。
透し塀です。ここもじっくり見ましたが、何しろ見どころ満載でどれだけ時間があっても足りない。
唐門は大猷院の中で一番小さいものですが、装飾は一番ですね。
まぁ、この先が拝殿・相の間・本殿だから当然といえば当然ですが。
拝殿に入ることができますが写真はNG。
私が部屋に入ったとき、運よくお経をあげている最中で、家康の金ぴかのお位牌を拝んできました。
拝殿でお詣りしたあとは、本殿の外観を見ることができますが凄すぎる。
あまりのきらびやかさに目がくらみます
奥の院の入口にあたる皇嘉門(こうかもん)。
この先に家光の墓所がありますが・・・ 一般人は入れません。
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輪王寺大猷院
栃木県日光市 山内2300
徳川家康公400年御遠忌記念
家康公御位牌初公開
会期 2015年4月22日(水)~2016年11月30日(水)
日光東照宮
栃木県日光市山内2301
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Posted by 夢☆子 at 08:26
│2015.10 浅草・日光・軽井沢