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【熊本・城めぐり】古代のお城・鞠智城(きくちじょう)
富士山に似ていることから『南関富士』と呼ばれている大津山。
南関城ができる前は、ここに室町時代に大津山氏初代・資基が築城した藟嶽城(つづらがだけじょう)がありました。
今も石積みや堀切が残っているそうでいつか行ってみたい。
藟嶽城(つづらがだけじょう)を廃して築ったのが南関城(なんかんじょう)。別名・鷹ノ原城(たかのはらじょう)。
南関城は築城開始からわずか15~16年で壊された短命のお城。
築城は慶長5年(1600年)。当時の城代・加藤美作の願いにより、
加藤清正が築城を許し完成。
完成したものの、江戸時代に入り、一国一城令が出され、築城からわずか15~16年で壊された。
壊したのは
細川忠利の時代。ただ単に壊すだけでなく、ここは石垣の下方まで徹底して壊し、石材は空堀の底一面にびっしり敷き詰め土で覆い隠すという徹底ぶり。
なぜ、ここまで徹底したかというと、先の
天草・島原の乱で原城の壊しかたが適当だったため、一揆勢が立て籠ったので、細川忠利は徹底して破壊したと思われる。
天草・島原の乱のようになったら困るから徹底したと思うが、清正の美しい石垣を壊すのは辛いものがあったのではないだろうか。
いや、生真面目な忠利のことだから、徳川ににらまれないために無心で壊していったかな。
お城というと築城に目を向けがちだが、破城の観点から見るお城も当時の様子を伺い知ることができる。
平和な現代、お城はロマンだ。築城も破城も魅力過ぎる。
本丸南入口。一番下の石垣が残っています。
本丸
南関城は端城。でも、ここは佐賀の名護屋城とほぼ大きさが同じ。端城という規模じゃない。
今はほんの少し石垣が残っているだけだが、何もないからこそ、想像力が働き頭の中で、当時の南関城を勝手想い描き歩を進めた。
本丸に栗がいっぱい!
ここは本丸の横なんだけど、石垣から櫓があったものと思われる。
石垣がきれい。清正が関わったお城は本当に石垣の積み方が美しい。
ここは西の出入り口。
よーく見ると虎口になっている。
私、歴史は好きだけど、けっしてお城マニアではない。お城めぐりは好きだけど、お城は奥深く、まだまだ勉強不足。でも、今回廃城を見て、お城の魅力に完全にはまった。
お城ロマンを追及していきたい。
官軍墓地。西南戦争のときに薩軍と戦った人たちのお墓。
なぜ、城跡に建てたんだろう? スペースの関係だろうか?
この近くにそれとも正勝寺が近いからかな。
正勝寺は西南戦争時、有栖川宮熾仁親王が本営をおかれ場所です。今回時間がなくて正勝寺は場所の確認をしただけ。。。 次回、じっくり拝見したいな。
つづく
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【熊本・城めぐり】南関御茶屋